A4一枚に、書ききれない…

2ヶ月連載!
前後編に分けても、書ききれない…

僕(倉元靖武)のR-1ヨーグルトへの
熱き想いを、ここに公開します!
 
DELICOLUMN
デリコラム10月号

父と僕のR-1物語【前編】です。


●デリコラムってなに?という方はコチラ>>




 

父と僕のR-1物語【前編】その(1)
 


■ヨボヨボの爺さん・婆さんに
 なったら、亘理によべば
 いいんだろ…


そんな甘い見通し、考えで牛乳屋を継いだ僕。

僕はサラリーマン家庭で育ちました。
東京で会社の社宅を転々とした後、父(達夫)は
埼玉県飯能市に念願のマイホームを構えました。

つまり、僕の実家は飯能にあります。

僕の兄弟はすでに嫁いだ妹がひとり。
僕は、長男であり家督という訳です。

にも関わらず、7年勤めた会社を辞め

2000年4月


ここ宮城県亘理町で、妻の実家である
牛乳販売店を継ぎました…

父:達夫、55歳。
僕が、30歳の時です。

長男のクセに、宮城県で商売を継ぐ。
それは、飯能の実家を継がない。
ということも示唆します。

「達夫はガッカリするだろうな。」
「念願のマイホームなのに…」

僕は、脱サラすることも
妻の実家の商売を継ぐことも
一切、達夫に相談することなくコトを進め、
既成事実つくった後に報告をしました。


星一徹のような親父です。




当然、怒鳴り散らされる覚悟でした。
しかし、意外な言葉が返ってきます。

「そうか…お前は故郷を見つけたんだな。」


(・_・?)

僕は父の仕事の都合で、都内を転々としました。
転校もしました。
だから、父はそう思いを巡らせたようです。

やっと息子が腰を据えて暮らす土地を見つけた!
と解釈し、何も言わず応援してくれました。

とはいえ内心はガッカリしているはず…
有難くもあり、申し訳ない気持ちでした。

ちゃんと商売を全うし、いつか!
両親が年老いた時には、ここ亘理に呼び寄せ
海あり・山あり・仙台あり!の住みやすい
亘理で余生を過ごしてもらうぞ!

と決意しました。


その時までは…



■ガーーーン!!! (ll゚д゚ll)
 埼スタの悲劇



それから3年後の

2003年の夏

僕は、鳴かず飛ばずの商売で悪戦苦闘の最中

「いいから、ちょっと帰って来い!」

と、達夫から呼び出されました。

大の野球ファン・巨人ファンで、
Jリーグなんか観たことない父が
埼玉スタジアムへ行こうと言い出しました。

僕のベガルタ好きを知ってる父は
ベガルタ仙台vs浦和レッズ観戦を餌に
僕と妹を呼び出したのです。
 




なにも、こんなとことろで言わなくても…

恐らく、
神妙な面持ちで言いたくなかったのでしょう。
恐かったのだと思います。


「肺ガンが見つかった。」

埼玉スタジアムで、僕は父のガンを
知ることとなりました。

ステージ4の末期ガンです。


「俺は、闘うことにしたよ。」

ここから、1年8ヶ月に渡る
父とガンとの闘いが始りました。




■壮絶なガン闘病!僕が
 してやれることとは…

 

浅はかでした。
軽率でした。

まさか、自分の父:達夫が…
まだ還暦も迎えていないのに…
こんなコトになるなんて…

牛乳屋経営の魅力に飛びつき、
親妹のコトなど考えもせず
安易に決断した自分の愚かさと
身勝手さを悔やみました。

遠く離れたここ亘理から、僕は
達夫に何をしてやれるのだろうか?

母や妹に父を任せ、僕はここで
何をしているのだろうか?

その当時、僕は荒浜の宅配コースを
担当していたのですが、




美しい鳥の海の湾を目にするたび、
なぜか涙が溢れ出し、その都度車を止め
配達ができなくなったのを憶えています。

自分の馬鹿さ加減に、涙が止まらなかったのです。

しかし、過去には戻れません。
牛乳屋経営を辞めるわけにはいかない。

仕事の合間を見つけ、また
時には仕事をスタッフに任せ、
宮城から埼玉へ、見舞いに行きました。

父のガン闘病は、壮絶でした。

薬という薬が合わなかったのか
薬の副作用に苦しむ姿をよく目にしました。

副作用を抑えるために、また薬。
そのまた副作用を抑えるために…

見てられません。




なんとか、薬を辞めさせられないものか…

こんなに苦しむなら、民間療法の方が
いいのではないか?

僕の仕事は、健康産業「乳類販売業」。

食品の三次機能が注目され
病気は“治す”時代から、“ならない”時代へ
予防医学に宅配乳製品を!って
商売しているのだから何かあるはずだ!

と、日常業務の傍ら調べに調べました。

「僕が達夫にできることはコレだ。」
「待ってろよ~、探し出してやるからな。」
「牛乳屋の底力をみせてやる!」


ネットにTV・ラジオ…あらゆるNewsに
耳を傾け、文献を漁りまくりました。

しかし、たどり着くのは…

高額な、なんちゃらフルーツや
聞いたことないキノコなどばかり。

藁をもすがる気持ちで購入したとしても
あの親父が口にするはずがない…


と、途方に暮れていた時、ふと目をやった
TV番組で見つけたのです。

導かれるように出会ったのです。

それが…

ナチュラルキラー細胞

NK細胞 との出会いです。









父と僕のR-1物語【前編】その(2) へつづく


●父と僕のR-1物語ザ・ムービーはコチラ>>



 
?Gg[???ubN}[N??