北は名取市閖上から
南は山元町磯浜まで

仙南沿岸部を隈なく宅配エリアとしていた当店。

店舗自体は比較的内陸に位置するため津波の被害はなかったが
お客様たちは甚大な津波被害にあった。

スタッフたちは全員無事だったが
家財全てを失った者もいる。

今まで積み上げてきたものが一瞬にして失われた。

当店は、この震災で約4割の顧客を失うことに・・・

というよりも、仕事が出来る状況ではなかった。

業界の重鎮に聞いたところ
「戦争中でも届け続けた牛乳が、史上初めて止まった。」という。

事業再開までの壮絶な記録と記憶はここでは渇愛するが

当然ながら、今期の事業計画は全てパァ。

目の前にある“出来る事”をやるしかない。

ともかくやみくもに走りつづけた・・・




この震災により、被災地住民の人生計画は大きく狂う。
うちも離職が相次いだ。

ここ数年していなかった求人をしなければならなくなった。

震災前、経営スキルアップのため参加したセミナーなどで培った人脈で、多くの情報が集まるようになっていたのが幸いした。

被災地雇用調整助成金事業の案内がFAXにて届く。

正に、渡りに船
捨てる神ありゃ、拾う神あり!

小躍りした。

が!

「すみません、法人向け事業です。」
「個人事業主は対象外です。」


小躍りした分、ガッカリ感も半端ない・・・

震災直後、当店の周りは学校が多く、避難所からの買い物客が多く来店した。

宅配メインのうちに行列が出来た。
後にも先にもこの時ぐらいだろう。

人は切羽詰まった状況下では、本当の目的を口にする。

列に並ぶお客様たちは
「牛乳を下さい」や「ヨーグルト下さい」とは言わなかった。

「うちの子はヨーグルト飲まないとお通じが・・・」とか
「お婆ちゃんは、毎日牛乳飲まないと元気が出ないの」

求めたのは商品や製品ではなく
問題解決やその効果を買いに来ていた。

その時この仕事を心から誇りに思った。

「社会の役に立つ仕事だ」
「地域住民を元気にし、復興の礎を築くのは俺たちだ」



地域住民に活力の源である“栄養”を届ける仕事。
定期的に玄関先まで確実にちゃんと届ける仕事。

仮設住宅でひとり暮らすおじいちゃん・おばあちゃんに
笑顔で乳製品を手渡し、笑顔にする仕事。

「いつも御苦労さま、ありがとうね」
「いえいえ、こちらこそいつもありがとうございます」

「ありがとう」に溢れる仕事。

なのに

個人商店だからって
「あなたの仕事には支援できない」

正直、頭にきた。


実は、最高売上を記録した5年前くらいから法人成りを検討していた。
しかし、無理して伸ばしていたため費用もかさみ

「こんな決算状況では危険だよ」
と会計士に言われ、保留に・・・

一方、コンサルからは
「いつやっても一緒。決断した時がその時だよ」
とも言われおり、法人なりの機会をうかがっていた。


やるなら今しかない


●2012.4.2

株式会社チャント 誕生

地域住民にちゃんと栄養摂取させる会社
地域にちゃんと雇用を生み出し続ける会社