●1975

初代店主、熊谷主夫が夫婦で亘理に移住し、明治牛乳亘理販売所を創業。
以来、2人の子供を育むため、個人商店として販売店を生業として営む。

亘理郡(亘理町・山元町)を宅配エリアとし業界の活性化事業とともに順調に業績を伸ばす。
しかし、経済成長とともに牛乳屋業界にも改革の波が・・・


●1992

業界団体「明乳会」が新活性化事業をスタート。

21世紀に向け、より近代的な経営への発展を目指し、家業経営から、従業員を雇用した事業への転換を迫られることに。


●1999

明乳会が、21世紀の市場環境の変化に対応できる店づくり、また誰もが働き甲斐をもてる店づくりを目指し、さらに発展した活性化事業をスタート。

「家業から企業へ」 企業化の波が押し寄せる。

2人の実子は就職・結婚を果たし、事業継承は見込めないことから廃業を考え始めることに・・・




他販売店の企業化がすすみ、今まで紳士協定で守られてきた宅配エリアが崩壊。

北・西・南と、周辺市町村からここ亘理郡にも他の明治販売店が進出。
「明治牛乳」と名乗り営業する店(会社)が、亘理で3~4店に・・・

メーカーからは、発展が望めない現状に満足している店“満足店”に認定される。

実質上の“戦力外通告”。

本気で廃業を考え始める。
 


「さびしい」
「かなしい」
「もったいない」

娘である佳菜子が継ぐことを意識し始める。

と同時に、企業の理屈に辟易とした娘婿:倉元靖武も転職を考え始める。


●1999.10

「一度だけの人生・・・社長になりたい!」

そんな安易で子供じみた発想で

大学まで出させてもらい、苦労して就職した
某洋酒メーカーをあっさりと退職。

倉元靖武夫婦が明治牛乳亘理販売所に入店。


●2001.4

約1年半の牛乳屋修行中に、すったもんだしながら

壮絶な親子喧嘩の末

事業継承することに・・・

戦力外通告からの復活を賭け
近代的牛乳屋経営に移行すべく

屋号を若干変えてのリスタートとなる。


明治牛乳わたり宅配センター
代表 倉元靖武

2代目の誕生。